超くだらない話をする前に、
一応、真面目な話をしてからアホな話にしようと思いまして。
なんかこう、言いたくなったのですね。
これ言っとかないと、なんかアホ話できそうにない、自分が。
自己満足ですけどね。
■ねぎさんとサイキック能力
サイキック能力の話の続きになりますが、
サイキック能力(スピリチュアル傾向が強い能力)の代表は次の通りです。
①第三の目で霊的な世界を視る
「クレアボヤンス(霊視・透視)」
②霊的な世界の音を聞くことが出来る
「クレアオーディエンス(霊聴)」
③言葉を伴わずに他者の考えや感情を感じ取る共感能力
「クレアエンパシー(霊的共感)」
④霊的な領域からの匂いを嗅ぎ取る
「クレアセント(霊的嗅覚)」
⑤サイコメトリーとも呼ばれる能力
「クレアタンジェンシー(霊的触覚)」
各サイキック能力についての解説はしません。
ネットで調べれば分かることについて説明するのは、個人的に好まないからです。
さて、自分がどの能力に特化しているかは、
いざ本格的に覚醒してみてからでないと正直分かりませんし、
職業などでその道に進むにあたって必要な能力が目覚める可能性もあります。
「卵が先か鶏が先か」って話ですね。
また、「え?自分がこの能力を?」ということも十分あります。
私の能力は「エンパス(エンパシー)」ですが、
正直自分がこの能力を秘めていたとも思わなかったし、
覚醒する能力がエンパスとも全く思っていませんでした。
幼少期から現在まで「ねぎちゃんは人の心が分からない子」と言われてきたものの、
正直、相手の本当の感情や思考がリアルに解る。
アイツは嘘を吐いている。
その違和感はあるけれど、好きだから嘘を信じてみる。
当然、裏切られてしまう。
人間を好きになれない。
信用できない。
私自身も過去に色々とあり、親しい友人やお世話になった方以外の人間にさほどの興味関心を無くしていました。
心を理解する能力には非常に乏しくなっていました。
相手の気持ちや感情に共感できない、理解ができない。
エンパスの持つ性質とはかけ離れた人間に成長したと思います。
しかし、どうゆうわけか、叔母の死後、
他人の感情が否応なく自分の中に入ってくる現象に悩まされることに。
知りたくもないのに、相手の感情が読み取れるし、
嘘を吐いていることもすぐに分かる。
予備知識のない状態で、電話口で患者さんの問合せの内容や痛みの状態が分かる。
電話や投書の文面から伝わるクレーマーの怒りが身体の芯の部分にまで浸透してくる。
ドールイベントに行くと、色々なものが体内に入ってくる感覚に吐き気がして、
昔から買い物させて貰っているディーラーさんへのご挨拶もできず、
目的の買い物もろくにできず、逃げるように会場を去る。
もっと酷いと、看護師から話を聞いただけで、患者さんの数歩先の行動が分かる。
その患者さんと私は全く面識がないし、
私のいる診療科にかかったことは一度も無いのに。
自分は解っていても当然他の職員が理解していませんので、
それを私が理解していない状態で業務連絡して、
結果、不毛なやり取りをしてお互いに嫌な気持ちになったり。
霊視能力が発達すると、この先起こる出来事(未来)が理解できるんだとか。
これはエンパスとは異なる能力なので、私も複合型の能力者かもしれません。
私は人間的にまだまだ未熟者でして、頭で理解する前に行動しちゃうんですよね…。
「あの人は(今日こうなるんだから)こうなんですよ」って言われても、
普通、困るわ。( )の部分抜かしたらアカンよ。めっちゃ反省しています…。
悩んだ末にY姐さんに告白し、
姐さんの紹介で姐さんの友人の方を通してkさんの個別セッションを受けて、
そこでようやく自分が「エンパス」と判明した時は、正直驚きました。
私の場合は、半分霊視能力も目覚めかけており、
ちょっと危なっかしい能力者だったようです。
ベテランの能力者の方から見たら、今でもそうなんでしょうねぇ…。
■能力は選べない?
ぶっちゃけた話をしますと、私は人形の声を聞きたかったんです。
人形と、しっかりした会話をしたかった。
人形の感情を酌みとれても、声が聞こえる時はごくわずか。
ほとんどありません。
ほんの一瞬だけ。
その一瞬を聞き逃すこともありますし、
聞き取れなくて何を言っているのが理解できないことも。
エンパスと自覚して能力を受け入れてからは共感能力?は伸びていますので、
人形のエネルギーや感情を拾い上げて意思疎通を試みる毎日です。
しかし、感情やエネルギーは言葉の無いもの。
その感情が具体的に、物理的に何を要求しているのかは、
こちらが相手の内に在る真の感情を汲み取って行動に移すしかない。
それができるのが、エンパス能力(共感能力者)なのでしょう。
奈緒の声が聞きたい、それだけです。
声が聞こえることと、共感能力では、
伝わり方も受け取る側の感じ方も全く異なります。
聴覚と共感は別の世界のものだと思います。
しかし、ないものねだり、は無意味です。
それは理解しています。
なぜ自分にこの能力が、と考えるのは無意味です。
必要だから与えられたのであって、持っていること自体にすでに意味がある。
受け取るか否かは自分次第です。
受け取るなら素直に受け取って受け入れる。
声は聞こえなくても、奈緒はちゃんと私に伝えることは伝えてくれている。
それで、私は幸せです。
能力を受け入れて確かに苦しいこともありますが、
色々なものを感じられるようになり、
幸福を感じることが多くなったのも事実です。
巷では、能力を褒めたたえる方は多いです。
しかし、私はその声を100%マルッと信じたりしません。
現実は厳しい。
悩んでも相談したり、辛くても声を上げることもままならないのが現状です。
この能力で何ができるか、自分はどうしていきたいのか、
世界にどう貢献していけるのか。
冷静に見つめ続けていきたいと思っています。
今日は自分の話ばかりになりましたが、
次回は、私が実践している「魔女修行」(笑)について。