ねぎばたけ。

私の "幸せ" が育つ、不思議な畑。「私らしく、生きていく」

紫月とお庭。

気圧が(以下略)頭が締め付けられる…!

これから天気が荒れるんだなぁ、と実感。

 

でもでも。

今日は曇り、寒さもほどほど、なので、紫月と家の庭に出てみました。

 

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私と手を繋いでも、嫌な顔をすることが少なくなりました(⋈◍>◡<◍)

 

朝、祖父が草木に水遣りをしたので地面が濡れていました。

水気のないところを選んで紫月を地面に降ろしてやりました。

 

紫月にとって、初めての、人間の家の庭。

 

 

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紫月は今までずっと外の世界や人間の生活とは無縁の場所に居たようなので、

本当は色々なことが新鮮なんじゃないかなー?

と勝手に思っております(苦笑)

もしかしたら、人間の家で、人間と一緒に「暮らすこと」も…。

本人は、顔には一切出さないけど。

 

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庭に遊びに来た野良猫や野鳥たちに興味津々でした(笑)

特に、猫に興味があるようですね。モフモフ、好きなのかな?w

 

人形にとっての「暮らす」とはなんぞや? と、時々思います。

「暮らす」というのは「生活する」ということでしょう。

人形にとって「生活する」というのは、一体どんなことでしょうか。

 

家の子供と遊ぶ?

家の人に可愛がってもらう?

 

人形をどう愛玩するかは人それぞれとして、

買われて、家に持ち込まれて、

そこにただ居る(飾られている)だけでは

「暮らしている」ことにはならないのでしょうか。

「置かれている」ということと、どう違うのでしょうか?

 

 

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うーん、紫月の身長だと、牡丹がよく見えないかな。

 

我が家は問題のある人形の更生施設ではございませんが、

人形が暮らしやすい家…と、よく言われます。 (^_^;)

そう言われても、実は…実のところ、私は、

「そうかー、暮らしやすいのかー…暮らしやすいなら、いいか」

という感想しか出てこないです (^_^;)

 

ただ、ひとつ思うのが、人形の更生施設ではないけれど、

うちに来た人形は、例外なく更生しているということです。

 

私は紫月に随分と手を焼かされましたが、

彼女も来てから半年経過した現在は、

一緒に外に出てくれるほど大人しくなりました。

 

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しばらく縁側に2人で腰掛けていたのですが、寒くなったので中に入りました(笑)

その後は、窓ガラス越しにお庭を鑑賞。

 

 

もうちょっと他の人間のことも信用してくれても、いいんだけどなー。

と思うのですが、一度裏切られた心は、

そう簡単には人間のことを信じられないのでしょう。

他の人形に対しても、まだ、ちょっとだけ、態度が良くない気がします。

 

彼女がドルパに遊びに行けるようになるのは、まだ先になりそうです。